お米の豆知識

作り手と買い手をつなぐ。若手米農家集団「トラ男」が見据えるお米の可能性。

秋田県の専業農家の3代目である3人の「作り手」と、彼らの思いを伝える「伝え手」の武田昌大さんの4人からなる、トラクターに乗る男前農家集団「トラ男」。秋田県のお米、あきたこまちを生産する彼らは、 “稼げない””きつい””かっこ悪い”という農業のイメージを変えるべく、2010年に発足。トラ男たちの米作りにかける思いや、お米が持つ可能性を伺うため、トラ男たちが育てた「トラ男米」を楽しめる「お粥とお酒のANDONシモキタ」の店主でもある武田昌大(たけだ・まさひろ)さんの元を訪れました。

秋田の農業の衰退を止め、農家こだわりの単一米を届けたい。

このままでは秋田の米農家の未来はない。秋田の米作りを変えたい――。そんな思いで結成された”トラ男”。それぞれ専業農家の3代目であるTAKUMIさん、YUTAKAさん、TAKAOさんの3人、そして発起人で伝え手を担う武田昌大さんのワンチームで活動しています。その始まりは、2010年。東京のゲーム会社に勤めていた武田さんが、北秋田市に帰省した際に直面した故郷のとある光景が「トラ男」発足のきっかけに。

「商店街のお店が閉店していて、人も全く歩いてなかったんです。僕が地元にいた2004年頃までは賑わっていたのに。このままでは故郷がなくなってしまう。そんな危機感から、秋田のために何か行動を起こさないといけないと思ったんです」

東京にいながら秋田を盛り上げるため、武田さんは青山で開催する「ファーマーズマーケット」で、故郷の野菜の販売をボランティアでお手伝い。ところが、実際にやってみてぶつかったのは、「秋田出身なのに、農作物の特徴も作り手の思いも何も知らない」という自分へのジレンマでした。

「どこでどんな風にどんな人が作っているのか。秋田を元気にしたいと思って始めたのに、故郷の農作物なのに、僕はお客さんに何も伝えられませんでした。このままじゃいけないと思ってゲーム会社で企画職として働きながら、週末は秋田に帰って農家さんの元を訪ねて回ることにしたんです」

平日はゲーム会社で働き、土日になると車に飛び乗って秋田へ。農家を見かけては「東京から来たんですけど、農業について教えてください」と聞いて回る日々。気がつけば、3カ月で100人超の農家の声に耳を傾けていたそう。

「一番衝撃的だったのは、お米の流通の仕方でした。100人の農家がいれば、100通りのお米ができる。みんな我が子のように大切にお米を育てているにも関わらず出荷されると、各農家から集まったお米を合わせて『あきたこまち』として扱われます。品種は一緒だけど、僕らが手にする1袋はいろいろな農家さんのお米がブレンドされている。このことがとにかくショックで……。だから価値のわかる人に適正の価格で、農家こだわりの単一米の販売をしようと決めました」

こうして武田さんは、県内を回って出会った米農家のうち、専業農家として米作りに情熱を傾け、自分たちのお米を単一で販売したいという思いに賛同したTAKUMIさん、YUTAKAさん、TAKAOさんを誘い、「トラ男」を結成します。

武田さんが秋田県内と回る中で出会ったTAKUMIさん、YUTAKAさん、TAKAOさん3人に声をかけて「トラ男」が発足。

故郷のために、やるしかなかった。

2004年の改正食糧法が発令されるまでは、流通に規制がかかっていたお米。そうした背景もあることから、2010年当時、新たなる販路を開拓するのが難しいとされていました。そこで武田さんが思いついたのは、インターネットを介しての販売。今でこそ個人でも簡単にECサイトを立ち上げられますが、当時はそうした便利なツールがない時代。ECサイトの知識やノウハウを学ぶため、武田さんは働きながら専門学校に通い出します。「秋田を元気にしたい」という大義があるとはいえ、どうしてここまで情熱を注げるのでしょうか。

「故郷がなくなってしまうという危機感に加えて、この時期、お米の価格が過去最低を記録したんです。これ以上価格が下がるなら引退するという農家さんがたくさんいた。だからもう、やるしかなかった。それが正直なところです」

自分が作ったお米は混ぜられて販売される上、そんなに儲からない。こんな大変な思いをしてまで米作りを行う農家のひたむきな思いもまた、武田さんを動かす原動力に。

「農家さんたちにやりがいと聞くとみなさんおっしゃるのは、『おめぇがつぐっだお米がたいそううまがった。来年もまた作ってけれ』と言ってくれる人がいるということ。だったら、おいしいと直接言ってもらえる場所を作ればいい。それで2010年10月のECサイトのオープン後、Twitterを使ってリアルタイムコミュニケーションが行える場を作り、トラ男のお米を食べられるイベントも始めました」

インターネット上に突如現れた、謎の米農家集団「トラ男」。Twitter上でコミュニケーションを取りつつ、イベントの開催を告知すると30人以上もの参加表明があり、YUTAKAさんと一緒に初イベント開催の日を迎えます。

「お米を炊飯器にセットしたら東京観光でもしようなんて言っていたのに、二人とも心配すぎて炊けるまでずっと炊飯器の前で待機してました(笑)。いざお客さんに単一米のお米を食べてもらったら、『おいしい』って感動してくれて。夜行バスで秋田に帰るYUTAKAさんを見送るとき、『やってよかったな』って二人して泣きましたね。この出来事があるから、今でもトラ男の活動を続けられていると思います」

作り手も買い手も、相手の「顔が浮かぶ」関係に。

「お粥とお酒のANDONシモキタ」ではYUTAKA米の販売も。

SNSでのコミュニケーション、月に一度のイベント開催といった活動を続け、結成の翌年2011年2月にトラ男米1年分300kgが完売。まさに順風満帆だった矢先、東日本大震災が武田さんたちトラ男を襲います。イベントの開催もSNSでのコミュニケーションも、当面の間は難しい状況の中、活動を改めて振り返ると、農業の現状を変えられてない事実を突きつけられます。

「農業をよくしたい、農家がちゃんと稼げる仕組みを作りたいと思っていたのに、トラ男米を300kg売っただけでは何も変えられなかったんです。それでもっとトラ男米を売らないと変わらないと焦りを感じていた時、メンバーがこう言ったんです。『僕たちは一生農家。ここで武田さんに辞められたら何も変えられないまま終わってしまう。だから武田さんも続けられるように、お金をもらってほしい』って。だから僕はトラ男を本職とする決意をしました」

会社を退社した武田さんは2011年に法人化し、農業で日本初のクラウドファンディングにも挑戦。農家としての初の試みに、メディアからも注目が集まり、トラ男の認知がどんどん広まり、倍々ゲームでトラ男米が売れていきます。トラ男の作り手メンバーたちにも、小さな変化が起こったのです。

「稲刈りや草刈りを手伝いに来てくれる人も現れ始めました。あと、バレンタインチョコが届いたり(笑)。トラ男を応援してくれるファンがついてくれたんです。自分が食べているお米を作っている人たちと繋がれるという、お客さんにとっていい関係になれたと思いますが、トラ男たちも『あの人のためにお米を作りたい』とお客さんの顔が浮かぶようになって。それが米作りのモチベーションになっていきました」

作り手と買い手が繋がり、両者にとっても「顔が浮かぶ」関係性を築いたトラ男。2012年には海外にも輸出するまでに成長しました。

新たな一手で米農家を増やしていく。

以降は、毎月イベントを打ち、ネット販売も続けていった武田さん。2017年には「いつでもトラ男米を食べてもらえる拠点を作りたい」と、日本橋・小伝馬町におむすびスタンド「ANDON」をオープンします。

「お店を開店して1週間後に小田急電鉄さんがやってきて、4年後に下北沢駅と世田谷代田駅の間に”下北線路街”を作るからそこに出店してほしいとオファーをしてくれて。立て続けに2店舗目のオープンが決まったんです」

「お粥とお酒のANDONシモキタ」では、YUTAKA米で握ったおにぎりが味わえる。

生産から流通、消費までに携わり、活躍の幅を広げたトラ男。農地を広げたり、ナチュラルな製法を取り入れ出したりと自身たちが成長するにつれ、漁師や枝豆農家が業界を盛り上げるために若手集団を発足させるなど、ほかの業界にもいい影響と変化が起こり始めました。

そして発足から10年以上たった今、平均年齢25歳だったトラ男たちもアラフォーに。武田さんは故郷を思い、もっと先の未来を見据えています。

「秋田県は人口減少のスピードが全国でもトップクラスですし、県内の米農家もどんどん減っています。これをどうにかしたい。そこで僕が今考えているのは加工業です。飲食をやってみてわかったのが、仕込みの大変さ。これを解消するために、秋田にセントラルキッチンを作りたいと思っていて。このセントラルキッチンで秋田の生産物を加工して、東京の『ANDON』2店はもちろん、全国の飲食店にも流通させていきたいんです。

お米の収穫後、農閑期である冬の間は雇用を生み出しにくく、新たな人材を確保できないため、米農家が減少していくという実情があるんですが、農閑期にセントラルキッチンで働いてもらえれば、これも解消できるとも思っていて。秋田に農家を増やして、どうにか故郷を盛り上げていきたい。これからも僕は伝え手として、農業は人を幸せにする職業だということを丁寧に発信していきたいです」

撮影:YUKO CHIBA 取材・文:船橋麻貴

「トラ男」
武田昌大(たけだ・まさひろ)さん


http://www.torao.jp

トラ男米プロデューサー。
1985年秋田県北秋田市生まれ。 2008年立命館大学情報理工学部卒業、東京のゲーム会社に就職。2010年にトラクターに乗る男前たちを集めた若手米農家集団「トラ男」を結成し、2011年株式会社kedama設立。 2016年内閣府が運営する地域活性化伝道師に選出される。

「お粥とお酒のANDONシモキタ」

東京都世田谷区代田2-36-12 BONUS TRACK SOHO 8
TEL/03-5787-8559
営業時間/8:00~20:00(L.O 19:30)
※コロナウイルス感染予防のため変動あり
不定休